2018年、スターバックスコーヒーがついに念願のイタリア進出を果たした。スタバ創業者であるハワード・シュルツ会長は、イタリアのバール文化にインスピレーションを得て、現在のスターバックスの前身となるカフェを立ち上げた。そんなシュルツ氏の悲願を歓迎する一方で、「スターバックスはイタリアでは受け入れられない」という批判的な論調も目立つ。
ご存知の通り、スターバックスは世界90ヵ国以上で20,000店を超える店舗数を誇る、世界最大のグローバルコーヒーチェーンである。同じヨーロッパのフランスやドイツ、スペインなどには既に出店しているのに、なぜ今までイタリアの地を踏めていなかったのか。それは、イタリア特有の経済事情や伝統的コーヒー文化にあったと言えよう。
今回は、スターバックスのイタリア進出までの苦難の道のりと、現地での悲観的な予測について解説する。同時に、スタバはイタリアでも成功すると予想している筆者の考えの理由もご紹介したいと思う。
イタリア・ミラノにオープンしたスターバックスの店舗について
Starbucks Reserve Roastery Milano
- オープン日:2018年9月7日
- 場所:Via Cordusio, 3, 20123 Milano MI, イタリア
スターバックスのイタリア一号店は、ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)のほど近く、コルドゥージオ広場に面した場所にある。この建物は元々郵便局だった伝統的建築物を再利用したもの。日本でも、登録文化財を改装した神戸北野異人館店や、古い町家の佇まい活かした京都二寧坂ヤサカ茶屋店など、観光地の雰囲気を壊さぬように配慮した店づくりはスタバの得意とするところだろう。
ミラノの新店舗も、大理石とブロンズを使って、歴史がありながらもモードデザインの発信地たるミラノデザインにインスピレーションを受けた見事な内装になっている。
高級業態、リザーブロースタリーとは
スターバックス初となる、店内にロースタリーを併設した新業態がリザーブロースタリーである。提供するのは、「カッピングと呼ばれる風味テストを年間25万杯以上も繰り返すスターバックスの専門テイスターが厳選した、最も個性豊かなコーヒー」。つまり、カップオブエクセレンス受賞豆やマイクロロットなど、トップオブトップの上質で稀少なスペシャルティコーヒーである。こうした特別な豆は、スターバックスリザーブと冠して、一部の大型店舗では既に提供されており、日本でも楽しめる。
リザーブロースタリーは、これまで世界でシアトルと上海の2ヶ所しかなかった。ミラノ店は3店舗目。記念すべきイタリア進出の尖兵として、いきなりこの新業態での店舗を投入してきたところに、シュルツ氏の並々ならぬ決意が感じられると言えよう。ちなみに、同社はこのミラノの店舗を「世界で一番美しいスターバックス」と称している。
余談だが、世界4店舗目となるリザーブロースタリーは、2018年12月に日本の東京・中目黒にオープンすることが決定している。
苦節2年…スタバのイタリア進出までの経緯
2016年2月末、念願のイタリア進出を発表→現地の反応「文化侵略だ」
スターバックスが満を持してイタリア進出を表明したのは2016年初頭。当初の計画では、2017年春にはミラノ店をオープンさせた後、5~6年ほどで数百店舗まで拡大するとしていた。しかし、その構想に対し、イタリア本土からは「侵略だ」、他の国々からは「イタリアの伝統的なコーヒー文化とは相いれない」といった批判が殺到。
スタバ反対のデモや放火→オープン延期
実際に現地で出店準備を開始してからも、ミラノ周辺では大規模なデモが行われるなど予想を遥かに超える反発を受けてしまった。こうした中、2017年春に予定していたミラノ店のオープンは延期を余儀なくされたのである。
当初、スターバックスはミラノ店舗を立ち飲みの伝統的なバールスタイルにすると言われていたが、反発を受けて、方針転換に踏み切ったのかもしれない(同社がミラノ店の場所とリザーブロースタリー業態にすると公式に発表したのは2017年2月末だった)
スタバのイタリア進出が遅れた理由
地元の個人商店を保護する出店規制
イタリア人は不況のあおりを受けて経済が衰退しても、外食に使うお金は削らない、というほど外での食事を大事にすると言われる。実際、イタリアの外食市場規模はEUではイギリス、スペインに次いで第3位という大きさである。観光業が盛んで、外国人観光客の消費が右肩上がりなのはわかるが、フランスを上回っている事実に驚きだ。
そんなイタリアでは飲食・小売店の出店は認可制になっており、チェーン店の大規模出店に対して実質的な規制がかかっている。これは、イタリアでは外食産業の売上の約95%を占める個人商店を守るためなのだ。もちろん、このルールは外資に限ったことではない。実際、イタリアで成功している外食チェーン店は「autogrill」をはじめ数えるほど、外資に至っては実質マクドナルドのみである。
イタリアの伝統的コーヒー文化「BAR(バール)」の壁
そして、イタリアにある約23万軒の飲食店の約60%にあたる13万5千軒もあるのが「BAR(バール)」なのである。日本やアメリカなどで”BAR(バー)”と言えば、主にお酒を提供する店を思い浮かべるが、イタリアのバールと共通するのはバーカウンターくらいなもの。
バールでは、朝コーヒーを飲んで、ランチを食べて、夕方に友人とだべって、夜になればディナーまで食べる、まさに何でもありの店なのだ。実際、イタリア人が食事で利用する店の第1位は、朝も昼も夕方も夜も全てバールである。
もちろん、中でもバールのアイデンティティを支えるのはエスプレッソである。そうエスプレッソなのだ。プアオーバー(ドリップコーヒー)も、フレンチプレスも、サイフォンも、アイスコーヒーも、フラペチーノもない。
私がスタバがイタリアで成功すると予想する3つの理由
イタリアのコーヒーは本格ではなく伝統
スターバックスがイタリアに進出するにあたり、その難しさの理由として、イタリアが「コーヒーの本場」であるという指摘が良く見受けられる。果たして本当にそうだろうか?
確かにイタリアは、今日のコーヒーの最もポピュラーな抽出方法の一つである「エスプレッソ」を生み出した国だ。1900年代初頭にパヴォーニ社がエスプレッソマシンを初めて世に送り出し、ビアレッティ社による家庭用エスプレッソマシン「モカエキスプレス」が一家に一台あると言われるイタリアは、間違いなく世界でも有数のコーヒー文化を醸成してきた。
しかし、フレンチプレスを生み出したフランスにはイタリアのバールに負けないくらい無数のカフェが点在しているし、日本ではドリップ(プアオーバー)やサイフォンを普及させ、独自の喫茶店を文化を形成した。さらに、元々スペシャルティコーヒーをリードしてきたのはアメリカだし、それを最近になって一般にも普及させ、進化させてきたのはノルウェーを始めとする北欧である。
つまり、イタリアはエスプレッソの本場であるとは言えるかもしれないが、必ずしもコーヒーの本場ではない。Barista(バールでサービスを提供する人)が今やコーヒー抽出のプロフェッショナルを指すこと、WBC(ワールドバリスタチャンピオンシップ)でのコーヒー抽出がエスプレッソマシンで行われることを鑑みると、確かにイタリア発祥のエスプレッソは現在でもコーヒーシーンの主役だ。しかし、WBCの上位入賞者をはじめ、現在世界で活躍するトップバリスタにはイタリア人はほとんど見かけないのが現状である。
WBCは元々、近年のスペシャルティコーヒーシーンを牽引してきた北欧のイニシアティブでスタートした大会なので、最初こそティム・ウェルテンボーに代表されるようなスカンジナビアのバリスタが目立っていたが、早い段階からアメリカ、ヨーロッパ、日本を含むアジアなど幅広い国の代表がファイナリストにその名を連ねている。その中で、イタリアは、チンバリ社、マルゾッコ社、シモネリ社、ヴィクトリアアルデュイーノ社など、代々公式機種として使用されているエスプレッソマシンにおいて、その存在感を残すのみと言った印象だ。
つまり、スタバのイタリア進出は、現地のローカルなコーヒー文化に対する挑戦、と捉えるべきである。これは、既に独自の喫茶店文化を築いていた日本と同じような状況であろう。一般家庭へのコーヒー普及度や人口あたりのバールの数などの違いはあるが、スタバの日本進出のときはこれほど否定的な意見はなかったような気がする。
閉鎖的なバールに入りづらい観光客に歓迎される
イタリアに来た観光客にとって、現地のローカルな雰囲気を味わえるバールは是非とも訪れてみたいと思う場所である。ガイドブックにも当然その魅力やおすすめのお店は紹介されており、「自分のお気に入りのバールを見つけてみよう!」なんて書かれているのだ。しかし、そんな気軽な言葉に乗せられて意気揚々と目についたバールに飛び込んでみて、想像以上にローカルでクローズドな雰囲気に気まずい思いをしたことがある人は少なくないのではないだろうか?
どこでどう注文して良いかもわからないし、テーブルとバンコで価格が違うのも後で調べてみて気づく。バリスタの多くも決して愛想がいいわけではないし、現地の常連客の視線も何だか気になる。これでアイスコーヒーでも注文しようものなら、居たたまれなくてしょうがない。
そもそも、観光客は座ってゆっくりコーヒーを飲んで休憩したいのだ。しかし、海外旅行で困ったときに頼れる味方であるスタバは一軒もない。それどころか、入りにくいバール以外には気軽に休めそうなカフェはない。飲み物のテイクアウトも一般的ではなく、観光地の中心部では外に座るところもない。イタリアの夏は尋常ではなく暑いこともあり、スタバの出店は観光客が待ち望んだ救いの一手と言えよう。
そもそもイタリア人だってフラペチーノ好きなんじゃない?
ミラノのスターバックスでは、前述のような現地イタリア人の拒絶反応と、バールを中心とした独特のコーヒーカルチャーに配慮した店舗づくりを意識している。そのため、フラペチーノやアイスコーヒーといった、イタリア人のコーヒー文化には存在しないメニューを排除し、シアトルの店舗からの付き合いであるミラノ発のベーカリー「Princi Bakery」と再びタッグを組むなど、丁寧なローカライズに腐心している。
しかし、最近ではイタリアの若者もアイスコーヒーを楽しむようになっていると言うし、スイーツ好きで、シェケラートやセミフレッドを愛するイタリア人の口にフラペチーノが合わないはずはないと思うのだ。そもそも、スターバックスをコーヒー専門店の括りに入れるのがもはやナンセンスであり、フラペチーノがコーヒーだと思っていないのは世界共通ではないだろうか?
素直にフラペチーノを前面に押し出して、”スターバックスと言うニュースタイルのカフェ”という体で、マーケティングを行った方がすんなりと受け入れられたのではないかと思うほどである。それは、当時のシュルツ氏の想いにはそぐわないのかもしれないが。
ミラノ店は、シュルツ氏の悲願であると同時に敬意をこめた恩返し
この動画を見れば、シュルツ氏のイタリアやバール文化に対する真摯なリスペクトと感謝が伝わってくるのではないだろうか?そもそも、当時のシュルツが感動し、スターバックスにおいて表現したかったのは、バールのサードプレイスとしての役割だったのである。確かに、アメリカ人を中心とした顧客のニーズを反映した現在のスタバのメニューは、イタリア現地のバール文化には沿わないものかもしれない。
しかし、スタバのイタリア進出は、創業当初からシュルツ氏が目指していたものであり、それはイタリアンバールから素晴らしいインスピレーションをもらったことへの恩返しなのだ。ミラノ店のコンセプトも十分、現地に配慮したものであり、バール文化も変わりつつあるイタリアのニーズにも応えるものであろう。これは決して侵略などではないのだ。